【持たない暮らし】なぜ持ち物を減らすのか【ミニマリストとは】

ミニマル

こんにちは、のくと申します。

突然ですが、なぜミニマリストという存在はこれほどまでに流行しているのでしょうか。

そして、なぜ多くの人はミニマリストという存在に共感できるのでしょうか。

 

おそらくそこには、禅の心があるからではないでしょうか。

 

今回は、禅についての本から私が改めてミニマルな暮らしを心がけようと思った経緯についてお話しし、みなさんにも持たない豊かさを知っていただければと思います。

持ち物を減らせば、心と体に余裕が生まれる

私たちの周りには物が溢れています。コンビニがあり、量販店があり、そしてオンラインショップがあります。

 

そんな社会では、たくさんの誘惑に駆られます。

前作より数%性能が上がった物が毎年のように発表されます。

新しい要素が出されて魅力的になった商品が毎シーズン発表されます。

目まぐるしく変わるトレンドに乗るように多くの商品が投入されます。

まさに、大量生産、大量消費の時代です。

 

しかしそんな時代だからこそ、「持たない」ということに視点を向けてみませんか?

 

持ち物を減らすことは物理的な空間の余裕を生むだけではなく、心や身体にも余裕を生みます

次の章ではこれの理由を話していきたいと思います。

 

一つ捨てることは執着から一つ離れること

物を減らすことは、そのまま執着を手放していくことになります。

 

執着とは、とらわれることでありこだわることです。

「これは私のものだ」といった発言はその最たるものです。

 

では、「執着を手放す」とは、自分の周りに張り付き固まってしまった余計な物を少しずつ剥がしていく行為です。

 

「本来無一物」という言葉があるように、私たちはそもそも何を持たずに生まれてきました

 

しかし次第に、服を着たり、食べ物があって、物に囲まれる生活が当たり前だと思うようになりました。

執着している状態がデフォルトになってしまったのです。

 

執着している物が多いと、それらについてあれこれ考えるうちに目の前が曇ってしまいます。

物を減らせば、そういった執着から離れていくことができます。

 

執着を手放すと、目の前が少しずつ明瞭になり、本当に自分がやりたかったこと、求めていた物がはっきりするようになるはずです。

そして、それ以外の物理的な部分にも余裕が生まれ、二重に良い環境に身を置くことができます。

 

把手共行の考え方

ここで、一つの例を紹介したいと思います。

 

禅の世界には「把手共行」という言葉があります。

本来の意味は「信じる人と手を取り合い共にいく」という意味ですが、この本では単純に人だけではなく、「思い出」もそこに入ると話しています。

 

そのものを持つことで、あの時の記憶がまざまざと思い出せる、そういったものはむやみに捨てる必要はありません。

そういったものとこそ、共に手を取り合うように人生を歩んでいくべきなのではないでしょうか。

 

そうではなく、単純に

「欲しかったから」

「安かったから」

「衝動買いで」

といったものは少しずつ減らしていけるのではないでしょうか。

 

本当に手を取り合っていけるものを残した環境ほど、雑念がなく居心地のよいものはないと思います。

ものを持つから豊かになるのではなく、持たないことで豊かになれることを知っていただければと思います。

 

今回は、ふたたび「心配事の9割は起こらない」から、第一章の一節を紹介しました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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